のんびり自分のオカルト体験書いとく63

中学生時代、わりと精神不安定なクラスメートの女の子が、ある日の放課後、教室全体を使ったコックリさんをやろうと言い出して、「ここにある机を寄せて、X状に教室内を走れるようにしたら出来る!」と言い出し、そのことにめちゃくちゃ不安を覚えて泣きながら止めて欲しいと懇願した体験がある。結局、教室全体を使ったコックリさんは実施されず、あの時代、まだインターネットはなくて教室全体を使ったコックリさんの知識は一体どこから仕入れて来たのか?それとも彼女の脳内に自然と湧いてでてきたものなのか?はたまた彼女に取り憑いていた何者かが、彼女に教えたのか。それは今となっては分からないけれど、教室全体を使ったコックリさんを実施していたから大変な事になっていたと思う。教室全体を使って呼び出す存在なんて、どう考えてもロクな者じゃない事だけは解かる。
そして、学校で起こった事件で怖ったものには彼女が大抵、関わっていた。彼女は、憎い女子には堂々とカッターの替え刃(バラバラに折った物)を封入した手紙を机の中に入れたりして、その上いつも真顔だった。うん、何者かに操られてたよね、アレ。いつも目をカッと開けてて、真顔やったし。張りつめた気配を漂わせていて、学校内であっても常在戦場しているような感じの人やったわ。
今は、何をやっているのかは知らへんけど、心からリラックスして生きて行けるようになっとったらええな。
多分、コックリさんが定期的に学校で流行するのは、コックリさんを通じてこの世に出現したい奴がおるからやと思うんや。せやから、コックリさんをやりたいと言い出した女性は、要注意やで。恐らく、何者かが彼女に憑いてる可能性がある。基本、女性のが本能部分が大きいので霊能力がある人が多い。出現したい奴も、女性のが操り易いんやろうね。なぜなら霊能力がある分、霊能力が高い存在からのエネルギーをモロに受けて術にかかってしまうから。レジストできない限りは、術者の言いなりやし。
そんな感じで、コックリさんの話しはここまで!皆も注意したってや~。

 


福井県にある永平寺曹洞宗大本山である。永平寺傘下のお寺は、毎年、三枚のお札を永平寺から頂戴するのだそう。だそう、と言うのは母がお寺で役員をしている関係上、三枚あるお札の内、一枚を貰って来たからである。お札は役員をしている人達が貰えるらしく、初めてお札を貰った母は、お札が入っているビニール袋ごと台所の天井近くの壁にお札を貼ったのであった。
しかし、そんな事は露程も知らなかった自分は台所に入った途端、北の大地っぽい澄んだ気配を感じて辺りを見回したところ、ビニール袋に入ったお札が天井近くの壁に貼ってあるのを発見。母に尋ねたところ福井県永平寺のお札だと言う。
そして、お札に気づいたのは私だけだと言う。
その後、母はお札を貼る位置に少し不満があったらしく、ビニール袋からお札を出して別の場所に貼り変えたのだが、どうやら永平寺の澄んだ気配を含んでいたのは、お札ではなくビニール袋の方だったらしく。袋から出され、新たに貼り変えられたお札にはべっちゃり母の気がついただけのお札になっていた。
しかし、そんな事は一言も言えないまま今に至る。もしかしたら、永平寺のお札だけではなく他のお寺のお札や神社で配布されているご神札なんかも、本体のお札ではなく外側の袋の方が良い気を十分に吸っている可能性が高いので、お札は袋に入ったまま壁に貼るのがベストアンサーではないかと思った次第。以上で、このお話しはこれでお仕舞。

 


カルマの支払いが起こってびっくりした話し。
自分が弥勒菩薩として地球にやって来た時に、ユーピテルに「俺の妻にならない?(この時点で彼には妻が6人いた)」誘いを断ったら、神秘が薄れた現代でも私の魂が完全に消滅するまで粘着され続けて、虐待を延々受け続けてた訳なんやけど。その一環で、よくなんて事ない理由で親に捨てられて(どう考えても、そんな理由で捨てる必要ある!?って理由で家から追い出されていた)孤児になってたんやけど。
ある時、YouTubeに上がっていたニュースで「どうしてかは判らないけれど、自分はこのニュースを見なければならない!」と強く感じたニュースがあった。そのニュースの中では、日本の某所で線状降水帯が発生し土砂で家が潰れたことを報じている内容だった。それと同時に家の持ち主である方が涙ながらにインタビューを受けていて、私はその人を目にした瞬間、自分の中で「ざまあみろ!」と思う強くどす黒い感情が記憶と共に噴出した。それと同時に、こんな事を考えてはいけないとも思ったけれど、自分の怒りには確かに正当性があるとも感じたんよ。
インタビューを受けていた人は、前前世で不当な理由で着の身着のまま自分を家から追い出した親やった。ニュースを見ながら「この人は、この年になってやっと私が家を追い出され行く当てもなく、泣きながら道を歩いて行ったあの時の気持ちを味わっているんだ」そう、あっさりと理解する事ができたんや。
もしかしたら、理不尽な理由で子どもを捨てたり家から追い出した人達は、カルマの解消の一環として家を無くす事で、住む家を親から不当に奪われた子供たちに対する学びを受け取る人もいるんだと、深く理解した出来事やったわ。
これを読んでくれている君たちも大切な存在やけど、そうじゃない人達も等しく大切な人達なんや。皆、その事をどうか忘れずに相手は子供だからって侮らずに生活したってや。全部、最期に自分に返って来るから。今はよくても、相手を泣かせた事は全部が全部、最後に自分が受け取ることになる。どうか自分の人生で起こった事については、きちんと考えてみてや。

 

それじゃ、今回もここまで読んでくれてありがとうな!