のんびり自分のオカルト体験書いとく60

コーキュートスとぱっと言われて解かる人は、地獄に詳しい人やんなあ。
今日は、ワイが今まで体験してきた地獄の話しやで☆彡ちなみに、コーキュートスは本来は冥府を流れる河の名前やけど。
ダンテの「神曲」地獄篇においてコーキュートスは、氷の湖(氷地獄)として表現されてるんやけど、ワイも氷地獄の別称としてコーキュートスという名前を使っているから、そこんところよろしくな。
ダンテも氷地獄に落ちた事があるんやろうなあってくらい、「神曲」地獄篇では詳細な地獄の内容が語られてるから、興味がある人は調べてみるといいかもしれへんで。


自分が覚えているコーキュートスは、浅い北極海といった風情やったわ。
大体、腰の位置くらいまである透き通るようなブルーグリーンの海に沢山の海氷が、地獄を歩きまわる我々の行く手を阻む、そういう場所やった。
ワイは、悪神ユーピテルに他人の罪科をこれでもかと押し付けられて冤罪によりコーキュートスに落とされ、氷地獄を延々に歩き回り彷徨ってたんや。もう歩くのもしんどくて、ただ立ってるだけの人達もいたけれど、立っているといずれ海氷が自分の周囲を厚く覆ってしまう。その中は、薄暗く悲しみだけが降り積もる正に地獄のような場所に成り果てる。
そうなりたくなかったら、自分達の前進を阻むように現れ続ける海氷を避けながら、ひたすら諦めずに歩き続けるしかない地獄やったんや。
だけど、歩けども歩けども決して緑萌るゆる大地は見えず、赤茶けた土くれでもいい兎に角、大地が恋しくなるほど空は白い天蓋に包まれ永遠に続く海氷が群れをなす、恐ろしいまでに澄んだ青緑色の海が自分たちの下半身を濡らしながら茫漠と広がっていた。
今生でも、夜、眠りに就くたびに何度か海氷が広がる綺麗で精緻な地獄を歩きながら、何回も自分の下半身はまだついているかどうかを確認しながら進む体験をしていた。
これは、長すぎる期間コーキュートスを彷徨っていた結果、上半身で海氷を避けて進んで行く事に意識が集中しすぎて足先まで自分の気を巡らせる事がおざなりになってしまった事が大きい。これには、地獄が持つ特性も深く関わっていた。
コーキュートスでは吐く息は白くないのに、全身を襲う寒さと下半身から伝わる冷気だけがやたらと鮮明だったのだ。
そして、前進を阻むように次々と際限なく現れる海氷の壁。ほぼ無理ゲーと表してもいいくらいの無限氷地獄に、心がいつまでも折れずに歩き続ける存在は実に稀有だったと思う。自分の後ろには、いつも二人ほどの人間がついて歩いて回っていたけど、振り返って彼らの魂を見る余裕は正直無かった。
現代でも、このコーキュートスの体験による弊害はあって。知り合いの霊能者に、「君は魂のエネルギーが上半身で止まっていて、下半身に流れて行っていないのに体は全身ちゃんと動いているから怖い」などと言われておりました。き、傷つく~泣いちゃうぞ!オラッ。好きでこういった状態の霊体を保持してる訳じゃないからな?霊能者に自分の事を見て貰うの、正直トラウマやで。残酷な真実が多すぎるんよな。
さすがの自分も今世にて、この状況はおかしいんじゃないかと気づいてね。上位次元体の皆さんに願い出て、やっとコーキュートスにおける自分の旅は終わったんや。自分の魂が立っていた海氷渦巻く海原から、急に春の日差しが煌めく緑の野原に立たされて驚いたんよ。そこにはもう、自分の歩みを妨げる物は何もなくて幸せやった。
その代わり、ワイの魂をコーキュートスに永遠に捕えておくよう指示を受けた氷地獄の獄卒が代わりにコーキュートスに入る事になった。なんでも、己の昇進と引き換えに引き受けたんだってさ。勿論、ワイの魂をコーキュートスに久遠に留めておくよう頼んだ存在達も全員、罰せられたで。
そんな感じで、自分のコーキュートスの思い出話しは以上や。


今回の記事を読んで、急に文章の解像度が上がったんじゃね?そう思った人が、もしかしたら居るかもしれんね。
実は、ワイが中原中也(山口県出身の詩人)やってた時代、その時、自分が培った小説を書く能力は全て文豪・志賀直哉が推しの大天使に奪われてたんや。書けども書けども上手くならなかった理由は、能力を大天使経由で志賀直哉に吸われてたからやね。
志賀直哉も亡くなるあたりで、小説を書く能力が他人からの借り物だとさすがに気づいて絶望したんやって。
だから己の死後、像や記念館を建ててはいけないと遺言したんだと、つい先日、まだ地上を彷徨ってた志賀直哉の魂を浄霊したついでに聞いたわ。
他人の能力を使って名声を成した人間は、死後は天上であってもグレードの低い階層へ行くんやけど彼の魂はもろにそれで。彼の魂を迎えた場所の次元の低さに一人、勝手に納得したわ。勿論、志賀直哉に貸していた分の小説を書く能力は返還してもろたで、工藤。
ちなみに、志賀直哉の魂が地上を彷徨っている事を感知していた、志賀直哉と仲の良かった同じく大正、昭和の文壇の重鎮・武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)先生の魂が彼の魂を心配して地上に留まっていたから、志賀直哉の魂を浄霊した後に先生の魂も天上に送ったけど、さすが武者小路実篤先生は志賀直哉よりも二段階高い階層へと向かわれたから、来世で二人が会うのは難しいと思ったよ。
存在自体が持つ波動がもう違いすぎるから、俗に住む世界が違うから今生の別れが彼らの魂の最期の別れだと感じ入ったわ。

 

そんな訳で、今回の旅も最後まで読んでくれて、ありがとうな。