のんびり自分のオカルト体験書いとく22

マンコ・カパック
フランシスコ・ロワイサが提唱するインカ帝国を造ったとされる人物の名前である。
ロワイサ氏はマンコは、眼(マナコ)が訛ったものだとしており。
さらにカパックは関白が訛ったものだとしている。

 

だが、しかし自分はここで新たな説を推したい。

 

それは、マナコ・サッカ説である。


日本には、大阪から山口県にかけて。
漢字で”目”と書いて”サッカ”と読む名字が存在するのだ。

つまり、マナコと書いてサッカと読むが訛りになまって。

マンコ・カパックになったのではないのかと。
つまり、インカ帝国は大阪商人が造った!
…はい、以上、今日の不思議考察でした~。

 

じゃ、茶番も書き終えたし、今日の話題にいこか。

 

石川県にある加賀国一宮 白山比咩神社に行った時のことやで。
で、なんで白山比咩神社へ行くことになったかと言うと。あん時の自分はなあ、めーっちゃいっぱい幽霊を憑けてたんや。

 

幽霊が大量に憑いてしまった理由としては、親が某寺へ行こうって言うから一緒について行ったら境内に修行僧の幽霊がぎょうさんおってなあ。
うおおおお亡くなっても尚、こいつら法衣とか着て修行しとるうううううこっちくんな!ついてくんなと境内の中でメンチきりまくって「ふーこれで大丈夫や!一人も憑けずに帰って来れた~」とか安心してたらなあ。

 

逆にしっかり憑かれててん。主に10人くらいに憑かれてたわ~。
マジ、日中であっても大量の修行僧のお陰で思考がすーぐに「これも修行」「あれも修行」になってさあ。
とりあえず思考が修行モードになる以外は、これといって実害が無かったのが幸いやね。
それで、当時は浄霊とか、祓う方法を一個も知らんかったから。
寺で憑いたんなら、神社で神様に祓って貰ったらええやん。なんかこう、強力な神社へ行ったら憑き者も落ちるやろうと考えたんや。
そこで、眼をつけたのが兼六園…ではなくて白山比咩神社やってん。けっして観光も兼ねてとか…そんな理由ちゃうでと言えないのが悲しいところよな。
お伊勢さんも強力やけど、さすがにあの場を汚したらアカンやろと思い却下した結果やで。

 

そんな訳で、石川県への旅の一日目は兼六園を散策し美味しい物を食べ、石川県最高~と思いながら夜は市内のホテルに一泊したら。
その日の晩、自分に憑いてた坊主10人以上が自分のベットを取り囲むようにして現れてビビッた…けど以上だった。
亡くなった人の魂は、灰色に見えるんやけどさあ~自分が寝てるベットの周囲をずらずら取り囲まれたらさすがにちょっと怖かったわ。
「明日、白山比咩神社に行くから許して~」思いながら、疲れてたから寝た。

 

翌日、電車に揺られながら白山市へ。
駅から白山比咩神社まで歩いて行ったんよ。
肝心の神社については、参道の途中にある「琵琶の滝」?だったかなそこを過ぎたら、一気に神聖な空気が増してな。
3月の終わりごろに参拝に伺ったんだけど、滝を過ぎた途端、小さなアラレが降り始めて、それがまたけっこう痛くてさ。
心の中で「もう、こんなに大量の幽霊は憑れて来ませんので、許して下さい!」そう思いながら参道を登り切って、本殿で「幽霊をたくさん憑れて来て、申し訳ございませんでした。どうか、自分に憑いて来た者達を浄霊して次の生へとおつなぎ下さい」そう願ったんや。


したらば、その日の晩。夢の中で、自分に憑いてたお坊さん達が仏教の彩色画によくある彩雲に乗って、天へと召されていく超カラフルな夢を見たのよ。
ついでに、血色の良くなった二人のお坊さんの幽霊が自分に向かって「あなたは、この後、四国は石鎚山に行く予定があるので、僕らも憑いて行きます」と。
思わず「はああああ?愛媛の石鎚山なんて、君ら霊体なんだしぴゅーっと飛んでいけないの?」そう聞いたら「昔は今と違い、山の形や正確な場所を知る事ができませんでした。想像して行くのにも限りがあります」と。確かにインターネットの世ならいざ知らず。確かに無理があるよなあと思ったからなあ、憑いて来ることを許可したんよ。

 

結局、石川県の旅から一週間後に自分は石鎚山石鎚神社に参拝し。
その日から、修行僧くん達は全員、行きたい場所へキャッチアンドリリースしたからか、もう二度と出ることはありませんでした。

 

どっとはらい

最後まで読んでくれて、ありがとうな~。